「R83」(仮題)はベルリンと東京を拠点とする映像作家、森あらたの長編映画、アートインスタレーション・プロジェクト。「R83」という新作映画を手掛けるため日本に帰る、海外在住の映像作家「わたし」。この作品の中で「わたし」は、15年前もし海外に出ていなかったら存在していたであろう自分、日本で全く別の人生を生きるもう一人の<わたし>を探すための旅に出る。
2018
ベルリン。ある日友人の夕食会に招かれた時。食後の話題は、集った面々の生まれ年の話になった。僕は、自分が1983年生まれだと言った。ゲストの一人がふと、表情を硬らせこう返す。「あなたは魔の年に生まれたのね」と。一瞬理解ができず、何のことかと聞き返した。日本で問題を抱える青少年の保護施設で働いているその女性によれば、83年生まれには特に心の問題を抱えた人が多いのだという。阪神大震災やオウム真理教事件、9・11に青年期を過ごし、バブル崩壊後の就職氷河期に職を探す。先の希望も持てず、非正規雇用になり社会の不適合者だと烙印を押された人々。時代の狭間の孤独な海を彷徨った「失われた世代」。
2001
横浜。記憶を辿る。高校では常に成績トップでなければ気が済まず、親に押し付けられたわけでもないが優等生でいることだけが生きがいだった。でも大学受験の殺伐とした空気に、自分の中の何かが崩れ落ちる音がした。勉強に勤しむ同級生を他所目に進学塾に行くふりをして、毎日街中をあてもなく何時間も歩く。運よく受験せず、推薦入学で入った大学でも他学生と馴染めず、人間恐怖症になった。そして、ひきこもりになる。自分の部屋から一歩も出られず、感情のやり場を失って廃人同然となった。親の前で殴って開けた壁の穴は、今でも残っている。
その当時、17歳前後の少年による無差別殺人事件が日本で多発し社会現象になっていた。彼らはいわゆる「キレる17歳世代」と呼ばれ、社会が生み出した怪物としてニュースを賑わせた。
1983
殺した小学生の生首を学校の校門前に置き、酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年A。2ちゃんねるで通称「ネオむぎ茶」で知られ、高速バスをジャックしたひきこもり青年。母親を金属バットで撲殺した野球部員。秋葉原の交差点にトラックで突っ込み、7人を無差別に殺した加藤智大。そして最近では、安倍晋三の銃撃事件 - 元総理を背後から自作の銃で撃ち殺した山下徹也。5年前の夕食会で言われた一言が気になり、ネット検索である事実を知った。それぞればらばらな凶悪事件を起こしたこれら若者が持つある共通点とは、全員1983年前後に生まれたこと。
14歳だった<彼>は、仲の良かった少年をエクスタシーにまかせて殺害、遺体を犯して血を飲んだ。17歳の<彼>は、有名になったその彼を崇拝し、バスを乗っ取って乗客を刺殺。そして公衆の面前で、トラックと刃物で大量殺人を行った26歳の<彼>は、学校では真面目でおとなしく、自分の殻に閉じこもっていた。だが自分も同じだった。いったい、<彼>と自分のどこが違うのか?もし道を一歩でも間違えて、<彼(ら)>の一人になっていたかと思うと、ゾッとした。
1986年当時の3才の「わたし」(左)と少年A(右)
2014
世間が「キレる17歳」の話題で賑わっていた頃、自分はといえば、精神不安定で休んだ大学休学中に日本を飛び出し、ヨーロッパに移り住んだ。破れかぶれの突飛な行為だったが、それが人生の転機。15年の年月が経った今の自分は、人間恐怖症だった頃とは似ても似つかないほど、社交的な人間になった。当時は想像もできない第二の人生を、今ドイツで送っている。
日本から今だに届く凶悪殺人のニュースも、どこか遠くの島国で起こった些末な出来事のように思える。だが自分がもし、あの時日本を出ていなかったらと想像してしまう。子供を作って家庭を築いているか、それとも未だにひきこもりで、社会とは隔絶した生活を送っているか、と。「わたし」の中の存在し得なかった<わたし>。でもその<わたし>は、今も日本のどこかで生き続けていて、もし自分が海外に出ていたらと、夢想しているに違いない。そんなもう一人の<わたし>の中に、ふと入り込んでみたくなった。その彼や彼女がどんな景色を見て、どんなことを思い、何をしてるのか知りたい。<わたし>と「わたし」を交換したい。そんな欲求が自分を襲った。
「わたし」という一人称の身体は、もう一人の<わたし>、つまり三人称で他者の身体に侵入する。それは、覗き見趣味 voyeurism の究極であり、同時に<他者>を通してみた「わたし」自身の根源の探求でもある。更に<他者>となった身体は培養・増殖し、複数集合体の<わたし(たち)>に拡大される。つまり、世代や社会といった共通化した枠組みだ。その果てにあるのは<日本>という島国。超高齢化社会、「失われた30年」と呼ばれる長期経済停滞、自然災害、戦争危機の上に、内向き思考によって国際社会からも取り残され、下降していくばかりのこの国と、その国から弾き出された「わたし」は今ここで重ね合おうとしている。
自分と他者、個人と国家、現実とメタバース、過去や未来といった境界線を曖昧にして越えようとする。先入観や固定概念、既存の価値観といったもの、その全てをアンラーン(unlearn)するということ。全てが連続した世界に生きる乳児の視点から現実を見ようとする、このプロジェクトは挑戦的な社会実験だ。それは私的な視点から出発する<日本>論であると同時に、自分はどこから来て、どこに向かうのかという普遍的な疑問を問う実在論でもある。そしてこれは、「わたし」の中の赤の他人との、分断と対話の物語。
●映像作家 森あらた
森あらたはベルリンと東京を拠点にする映画監督、映像編集者、アーティスト。学習院大学日本語日本文学科、ロンドンのセントラル・セイント・マーティン校ファイン ・アート学科卒業。2022年アジアン・カルチャル・カウンシル個人フェローシップ受賞。2023年Docs by the Sea、ESoDoc等フィルム・ラボに参加、DAE - ヨーロッパドキュメンタリー協会のメンバーも務める。
2021年、中国の一帯一路政策で開発が進むシルクロードの現代都市群を架空の都市として描く虚構の旅行記、ドキュメンタリー映画「あ・みりおん」が第64回ライプツィヒ国際映画祭に正式招待される。
ドイツ人映像作家アンドレアス・ハルトマンとの共同監督作品、長編ドキュメンタリー映画「蒸発」(ドイツ文化庁支援・ARTEとの共同制作)は、蒸発者の手助けをする夜逃げ屋を追う。2024年テサロニキ国際ドキュメンタリー映画祭でのワールドプレミアを皮切りに、CPH : DOXに出品、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭では最優秀作品賞であるヴィクター賞を受賞。
また建築写真家ラウリアン・ジニトイウと共にanother:を立ち上げ、BIG、OMA、SO-IL塩田千春など、著名な建築家やアーティストと映像でコラボ。ポルトガルの採掘場から掘られた3万トンの大理石が、NYグランドゼロの新舞台芸術劇場のファサードになるまでの旅を追った映画「ヴェインズ」は、この分野最大のADFF: 建築デザイン映画祭でプレミア上映。
一方、NHKやWOWOWにてフリーのディレクターやエディターとしても活躍、ウクライナ国境やイランなど危険地域にて戦争や難民取材など行う。
www.aratamori.com / info@aratamori.com